悲しい・切ない話

    392 :スカッとする修羅場まとめ 2011/03/08(火) 14:17:49 ID:mXrF/6Ph
    泥ママ遭遇したので厄落とし&自戒を意味を込めて書き込み。

    先週から子供が鼻水&涙目で風邪っぽかったので、ずっと様子を見てたんだけど
    なかなか治らないから念のため病院に診察に行ってきた。
    子供がベビーカー嫌いの為、子供コート+抱っこ紐+ママコートの完全防備で
    行ったから親子共に全身モコモコ。病院に行くと暖房が効いているので
    全部脱いでデカイマザバの中に子供コートとママコートを押し込んで診察を待っていた。

    1時間ほど待って診察も終わったんだけど、待ちくたびれたのと体調悪いので
    子供はずっとグズグズ。会計が終わって早く帰れるように、子供コート着せて
    ママコートが入ったマザバを持って立ってあやしてたんだけど、子供ギャン泣き。
    泣き声が迷惑だと思って、待合室じゃなく会計から近い階段フロアであやしてた。

    932 :スカッとする修羅場まとめ 2009/06/13(土) 01:49:02 0
    流れ読めなくてごめん。

    今まで散々やらかしてくれたトメが父と母の遺影と位牌を破壊した。
    ウトより位が高い戒名だからという理由で。
    さっき旦那と一緒に偽実家行ってトメ母の形見だという箪笥を破壊してきた。
    (旦那はおkしてくれたけどさすがに仏壇には手を出せなかった)

    トメが凸ってきたので旦那がどこかに連れてった。
    明日から家探しして早急にここは出て行くからと言ってくれたから
    とりあえず今ネットで物件検索しまくってる。

    こんなことになるまで家に上げてたなんて馬鹿みたい。
    父さん、母さん、本当にごめんなさい。
    辛くなったので吐き出しご容赦。

    231 :スカッとする修羅場まとめ 2017/09/17(日) 16:56:41 ID:AXk
    実姉が孤独タヒしたとの連絡が来て、この前病院やら焼き場や役所や姉アパート行って色々やって来た
    うちは両親がパチカス&アル中父と暴力メンヘラ母の、どこに出しても恥ずかしくない毒親で、実家を出た後は姉とも疎遠だった
    姉は喧嘩しつつも母親とベッタリだったし、母と姉が一緒に私を攻撃してた時期もあったので、縁切り上等だった
    両親がまとめて他界した時期には「あなたに謝りたい」とかすり寄ってきたが、謝られて許さないのも私が悪人みたいなので無視してた
    結婚出産も秘密にしてた

    病院でもどこでも姉が他界した実感が全然湧かなかったんだけど(遺体は顔確認以外見なかった)、姉のアパートを片づけてて、
    姉が去年買いだめたらしい特売シールの付いた未開封の靴下や下着や、
    チューナー付けた古い小さいブラウン管のテレビや、
    壁に貼ってある姉の勤め先の飲食チェーン店の来月のシフト表や、
    冷蔵庫にいっぱい入ってた某菓子パン(実家では毎日3食そのパンが出されて、私は心底大嫌いになったが姉は好んで食べてた)と、
    未開封のまま賞味期限切れになった牛乳やらを見ながら、

    あー姉はまだまだ生きるつもりだったんだよな、毎日毎日慎ましく暮らしながら、
    と思ったら、初めて姉がタヒんだのを実感して悲しくなった
    小さな書類棚には、通帳と印鑑と安そうな金色のネックレスと、
    私が修学旅行で姉にお土産で買った赤べこのキーホルダーがあった
    片付けるのがつらくなって、業者に頼んで後日何もかも全部引き払ってもらった

    私が学校の学芸会でお姫様の役になった時、姉が母の代わりに一生懸命衣装を作ってくれたのを思い出す
    そんなこと今まで忘れてたんだけど
    家を出るとき姉と縁を切ったことは今思い返してもしょうがないことだったと思うけど、
    何かどこかでやり直せたのかなと後悔している

    家族に心配されてるし姉ロスをどうにか吹っ切りたいわ

    107 :スカッとする修羅場まとめ 2015/06/18(木) 23:45:40 ID:g1pFifdDe
    後々修羅場だったんだなと知った知人の結婚式
    新郎と新婦は新郎が経営するお店のお客さんで新婦からの猛烈アピールで結婚。
    お店と言っても趣味系の小さなお店で、常連さんがかなりの頻度で立ち寄り和気藹々と談話しちゃうようなお店。
    元々は新婦はその店の常連である新婦会社同僚男に薦められてその趣味を始めた。
    新郎は店を構えるために多少の借金も有り、さらにちょっと体が不自由と言う事と
    新婦との年の差の事もあり最初は新婦からのアプローチを断っていた。

    店の常連となりつつ有った新婦が、同じく常連の私たち夫婦に相談をしてきて応援をする事に
    程なくカップルとなり結婚する事に・・・ ここまでが前置き。

    新婦は新郎の人となりを見抜いて結婚を決めたので
    新郎が質素ながらもキチンと挙式しようと言うのを 借金があるし
    勿体無いから写真だけで済ませようとしていたところ
    新婦に店を紹介した同僚男が私たち常連に相談を持ちかけてきて
    うちらが主催して披露パーティだけでもあげさせて上げようとの話をしてきた。
    この案には私たち常連も大賛成!新郎・新婦に打診するととても喜んでくれた。

    722 :スカッとする修羅場まとめ 2017/06/11(日) 06:02:17 ID:vfl
    今日は嫁の命日。大好きな嫁が8年前に病気でタヒんだ。残された娘と自分の2人で貧しくも楽しく暮らしてたんだが、その娘も小学校に上がる前にタヒんでしまった。
    もう娘がタヒんでから1年以上経つが未だに立ち直れない。大の大人なのに何してても実感が湧かない。寂しくて辛い。嫁や娘の部屋は最後の日のそのままにしてあるんだが、「気持ち悪いから片付けるべき」と注意されてしまった。もう何もかも嫌だ

    85 :スカッとする修羅場まとめ 2011/06/07(火) 09:20:45 ID:7no9hL1A
    親父は女作って、私が小学校の頃に家をでた。その後、紆余曲折を経て、親交が再開。それ程親しくもしていなかったが、親父が体調を崩したので、嫁に頼んで同居した。それも、親父の希望で、親父の家で。
    買ったばかりの自分の家を不動産を介して人に貸して、親父の家に引っ越した。
    親父の家は、大きく、新しいため、全く嫌ではなかった。
    親父も一時は体調を取り戻し、家族旅行にも何回か出かけ、親父にも孫との思いでを作ることができた。
    しかし、同居して三年目に突然亡くなった。問題はここから。
    親父の兄弟が、親父の遺言書というものを持って葬式の一週間後に来た。因みにお葬式にはきていない。
    財産を全て貰えることになっていると主張。いろいろあったが、彼らの言う通り親父の家を出ることになった。
    ところが、自分の持ち家が人出に売られたことになっていた。勿論、不動産の詐欺行為だか、すでにトンズラしている。
    購入された方との話し合い、警察から調書依頼など、これからが大変。
    人は信じたらだめ、強気で自分のことだけをら考えて生きるべきと考え始めた。
    世の中は9割がクズで構成されている。
    うちの子どもが1人生まれる度に追加していた、不遇な子どもへの定期募金も今月でやめる。

    81 :スカッとする修羅場まとめ 2015/04/30(木) 22:06:10 ID:lnVWektG.net
    末期ガン発覚記念ガス抜き

    長男の嫁だけど嫁ぎ先から長男つれて、私の故郷に戻ってきてしまいました

    旦那名義の家も友人も有った土地を離れる決断を旦那自身がしてしまうくらい、おかしな家族におかしな扱いされてはきましたが

    旦那両親は経済的にも余裕が無い病人

    そんな両親と決別を決断できるほど非情な人間では無かった旦那を、非情にさせたのは紛れもなく旦那両親とその娘ではありすが…


    いくら因果応報とはいえ、人の家庭が崩壊したことで溜飲を下げた私も結局同じ穴のムジナであったらしく、本日「因果応報」って言葉の意味を突きつけられました

    旦那父のタヒ因と同じ病気と判明し余命が短いらしいです

    幼い娘にはただ、侘びるばかりしか思いつきません

    何で私はじいちゃもばあちゃんもいないの❓
    何でママは突然泣いたり怒ったりするの?
    と泣きながら訴えながらも、毎日毎日ママ大好き!って言ってくれた娘

    ごめんなさい。随分早くお別れしなきゃいけないね
    メンヘラ母ちゃんなのに好いてくれてありがとう
    今後生きていく際辛いことが発生したら全部母ちゃんの責任です

    私が悪いからママは泣いたり怒ったりするのよね、などど勘違いせず、全力で恨んで、反面教師にしてバネにして強く生きてね

    194 :スカッとする修羅場まとめ 2011/05/03(火) 21:46:47 ID:gsHmsVal
    先月、祖母が亡くなりました。89歳でした。
    孫の中では私が一番年下なせいか(父が末っ子)、いつも私は「小さい子」扱いで可愛がってもらってました。
    「○ちゃん、お腹空いてない?おやつあるよ、羊羹もきんつばもあるよ。ばあちゃんちにあるものなんでもお食べ」
    といつも言われていました。和菓子があまり好きでない私は、いつもちょっと困ってました。
    ひ孫もいるけれど、晩年に痴呆の症状が出てきていた祖母は、ひ孫のことを私の名で呼んだりしていました。
    きっと私のイメージはいつまでもそのように「小さい子」だったのでしょう。

    もういよいよ危ないというとき、両親と共に病院になんとか間に合い、祖母と話ができました。
    祖母は父に、母に、何度も何度もお礼を言っていました。
    けれど、私の顔を見るなり急に動転しだしたのです。

    「○ちゃん、お腹空いてない?お腹空いてない?大丈夫?お腹空いてない?」

    そればかりを繰り返すようになった祖母・・。
    私が「大丈夫だよ、おなかいっぱいだよ。ご飯食べたばかりだよ」と言うと、心底ほっとした顔をしてました。
    父が「母さん、棚に羊羹があったろう。あれを食べたから大丈夫だよ」と目に涙を浮かべながら言いました。
    「そうかい、羊羹あったかい。それじゃ安心だ。・・○ちゃん、お腹空いてない?大丈夫?」
    同じ会話をずっと繰り返し、しばらくして祖母は静かに眠り、そのままずっと眠りにつきました。

    父から、祖母は戦中・戦後の貧しさの中でわが子を亡くした人であったこと、弱ったわが子(父の姉)が
    地主さんから恵んでもらった羊羹で助かったことがあることを教えてもらいました。

    187 :スカッとする修羅場まとめ 2015/10/17(土) 20:51:29 ID:Hli
    初めてで文才ないし、自己満足

    中学のときにバスケ部に入った。
    その年は部員が少なくて私ともう一人しか一年が入らなかった。
    その子はHちゃんて言ってミニバス経験者でいつもうちだけ置いてけぼりだった。
    だけどHちゃんと先輩達は優しくしてくれてバスケは大好きだったし練習は辛かったけどそれで少しでもうまくなれるなら下手でも構わなかった。
    中2になって先輩の引退試合のあとに転校生が入ってきた。
    Mちゃんていう名前で、男子の目を気にして露/出を激しくしたり声を変えたりするようなB***h臭い子だった。
    先輩が引退したあとHちゃんとMちゃんがつるみだした。
    ただでさえ辛い練習なのに2対1で悪口言われたりした。
    練習試合の日うちが一試合スリーポイントシュートを3本決め顧問にすごく褒められたことがあった。
    そしたら
    「何も出来ないくせにいきがって、お前いなきゃ一年が試合でれるのに」って言われてもういいやってなった。
    先輩にも顧問にも止められたし理由聞かれたけど友達だと思ってた人に裏切られたなんて言えなかった。
    部活をやめて一番最初にしたことはクラブチームを探した。
    勉強してバスケが強くレベルが高い高校に入った。
    だれにも悪口を言われない部活が楽しくてスタメンにもなれた。
    去年同窓会に行った。
    あの二人はいなかった。
    Hちゃんは中学で遊びすぎて高校に行けず、Mちゃんは妊娠した上男に逃げられ、親にも見捨てられ働いてもいなかったらしい。
    聞いたはなしだからよくわかんない。
    今はあの時止めてくれた顧問みたいな人になりたいと先生を目指している。
    辛かったけどHちゃん、あなたのことはやめたあとも仲良くしたいと思ってた。本気で信頼しあっていたあの頃に戻りたいと思った。

    864 :スカッとする修羅場まとめ 2015/08/27(木) 01:51:30 .net
    おまいらの子供が俺みたいにならないよう、話豚切りだけど語らせてくれ。

    いま俺は、精神障/害2級。障/害年金2級ももらって嫁のパート代と合わせて細々暮してる。
    直接の病名は業務過負荷による鬱病。しかし、カウンセリングに通ううちに俺が極度に
    ストレスに弱い人間だったせいだと分かった。

    俺は臆病だ。実に重度の臆病者だ。
    花見でバーベキューすれば「誰の許可を得てそんな場所で(ry」といちゃもんをつけられないか
    ビクビクするし、車を運転すれば煽ってくる車がいないか常にバックミラーを見ながら
    ビクビクするし、仕事をすればミスを指摘されないかビクビクして何十回も見直して完璧の上の
    完璧を目指すし、とにかく何をしてもストレスが半端ない。
    何か、ほんの少しでも文句をつけられそうなことは心の底から勇気を振り糸交ぼらないとできず、
    精神負担が半端じゃないんだ。

    そして俺の母は強烈なヒス女だった。とにかく叫ぶ。意味不明の言葉で金切り声を上げる。
    なぜヒスを起こすのかは誰にも予測不能。TVのスイッチのON/OFFの仕方が乱暴だから
    壊れると怒り狂っていた時もあった。飯を食おうとしたときに喉が渇いてて、コップが食卓
    にないからと発狂したこともあった。冬場で炬燵に家族が入っていた時に、あとから来た母が
    アタシの座りたい場所になぜおまえがいると激怒したこともあった。
    何がヒスのスイッチなのか、どこに地雷が埋まってるのか予測不能だった。カウンセラーは
    断言はしなかったが、これが俺が臆病者になった原因なのは明らかだった。カウンセラーの
    憐れむような眼を見たとき確信した。

    このページのトップヘ