スカッとする修羅場まとめ

2chの生活板全般、カテゴリ雑談板のスレをまとめたサイトです。 鬼女、キチママ、修羅場、復讐、DQN返し、衝撃系スレがメインです。

    悲しい・切ない話

    102 :スカッとする修羅場まとめ 2015/10/24(土) 15:07:15 ID:S/MX
    もうやだ、ごはんつくりたくない

    私は料理が人並み程度、旦那はそんじょそこらの料理屋よりもずっと上手
    結婚してから旦那に教わりながら色々と努力してきたけど
    旦那とはセンスというか勘がぜんぜん違う
    同じレシピでつくっても
    旦那が作ると絶妙に美味しくなり
    私が作ると平凡な味になる
    同じ豆と同じ水ででコーヒー淹れても旦那のはまろやかで旨い、私のは苦いっていうかエグい
    うちの親もこれは認めていて、旦那に煎茶を淹れてもらうのを楽しみに遊びに来るのを待ってる
    もう旦那の手はマジックハンドかなんかだと諦めている

    そんな私の平凡な味でも、旦那は文句を言わない
    いつも美味しいよと言って食べてくれるから嬉しいしありがたい

    問題は中2娘と小5息子
    娘は小さい頃から食が細く、外食や私のつくった食事だと0.6人前食べるのがやっと
    しかし、旦那の料理だとちゃんと1人前食べてくれる
    息子はなんでもバクバク食べるのだが、旦那の料理だと3人前ぐらい食べる
    旦那は「たまに食べるから美味しく感じてるだけだ」と慰めてくれるけどね

    618 :スカッとする修羅場まとめ 2017/06/02(金) 19:49:36 ID:wlH
    パート先の常連に度々チャッカマンを買うお婆さんがいた
    仏壇にあげる線香に毎日使うからすぐ無くなっちゃうのと言っていた
    面倒だけど忘れたりしたらあの人すぐ拗ねちゃうからねと朗らかに笑っていた

    ライターで遊んでいた少年が火事で亡くなった
    その子の両親の尽力で法律が改正されてライター類にはCR(チャイルドレジスタンス)機構が義務付けられた

    何度も以前のようなチャッカマンは無いかと聞かれた
    自分のような年寄りの握力ではCRチャッカマンはとても使えないと
    持病があってマッチは使わせて貰えないし、毎朝忙しいお嫁さんを線香の為に呼び付けるのは心苦しいからと
    でもその時は日本中のチャッカマンが固かった

    お婆さんの姿をあまり見かけなくなってからお嫁さんの方が店に来た
    線香は毎朝お嫁さんがあげるようになって、お婆さんは仏壇の前に居る時間が長くなった
    何時間も「線香一本あげられなくてごめんなさい」と呟いては仏壇に頭を下げて過ごす
    めっきり出歩くことが減り、食事も残しがちになって明らかに痩せてきているのだという
    万が一在庫があったらと言われたけれど問屋にだって残ってはいなかった

    その後お婆さんは数回店にやって来た
    老人が痩せるということは若者のそれとは大分違う
    皮の下の内臓と骨が剥き出しに近づいていくと、ほんの数ヶ月で一気に幽鬼じみた姿になる
    その日も以前のチャッカマンはありませんかと尋ねられたが答えは変わらない
    帰り際に彼女は「どこかの馬鹿なガキのせいで……!」と何度も繰り返し呟いた
    怒りと悲哀に歪められた老婆の表情
    朗らかに笑っていた頃を知る人間の誰一人想像し得なかったろう情景が最期の姿になった

    チャッカマンともしびを手に取る度に思い出す

    577 :スカッとする修羅場まとめ 2015/12/26(土) 13:59:40 ID:Wkw
    幼稚園の時のこと
    クリスマスプレゼントに何をもらったか、一人ずつみんなの前で発表した
    ちょうどファミコンが流行っていたころで、男の子は「ゲーム」と答える子が多かったことを覚えている
    女の子はバービー人形とか、名前は忘れたけど当時人気だったミニチュアの動物の人形とか、やっぱり玩具系が多くて、他にはピアノとか、仔犬っていう子もいた
    私がその年にもらったのは、知らないアニメのキャラクターが付いたコップ(子どもが歯磨きとかに使うプラスチックのやつ)とハンカチ
    ちゃんと包装されてリボンも掛かっていて、朝、枕元で見つけた時は嬉しくて嬉しくて飛び上がって喜んだ
    けれど友だちが座席順に一人ずつ立ち上がって答えるのを聞いていたら、明らかに自分のプレゼントが他と比べて「見劣りする」というのが幼心に分かった
    自分の番が来て、私は小さな声で、なるべく早口で「コップとハンカチ」と呟いた
    「きこえなーい」と全く悪気のない声が飛んで、先生が「○○ちゃん、もう一回大きな声でお話しして」と言った
    早口で「コップとハンカチ」と繰り返すと、何人かが「なになに?」「コップとハンカチだってー」「えー」とすごく意外そうに話すのが聞こえた
    先生は一人ひとりに「どんなゲーム?」とか「それで誰と遊んだの?」とか聞いていたけれど、私には「よかったね」としか言わなかった

    当時は分からなかったけど、わが家はものすごく貧乏だった
    たぶん、親は旬の過ぎたキャラクターものが投げ売りされているのを買ったのだと思う
    自分はそんなこと考えもせず、プレゼントがもらえたことがひたすら嬉しくて、そのコップとハンカチをこの上なく素晴らしいものだと心から思っていた
    だから、友だちとの落差が悲しいというより、自分のプレゼントが友だちと比べてぱっとしない、恥ずかしいと感じてしまったことがすごくショックだった
    そして、うまく言えないのだけれど、自分が「友だちとの落差にショックを受けている」と思われるのがとても嫌だった
    この辺の感情を言語化できたのはもっと大きくなってからだ
    今でもクリスマスになるとふと思い出す

    286 :スカッとする修羅場まとめ 2018/10/30(火) 11:37:10 ID:YCzhPlkj.net
    かなり昔のことだけど、車にカヌー積みっぱで保存してたんだが
    ある日朝5時集合の仕事に車で出かけて現場に入ったら、後輩が駆け寄ってきて屋根に猫が乗ってるといわれた
    みたらブルブル震えた首輪付きの猫が泣き叫んでいた
    朝早いしほとんど止まることなく東名から首都高に乗って結構飛ばしてたんだけど、血の気が引くほど青ざめた

    動かない猫を無理やり引きはがして車に監禁、水と食べ物をやりつつ仕事
    何とか連れて帰って開放した
    犬をひいた時よりもこの時の方がきつかったな

    51 :スカッとする修羅場まとめ 2018/11/27(火) 07:53:05 ID:jW1
    早朝から長文です。吐き捨て。
    40もとうに過ぎたのオバちゃんの愚痴聞いて。
    私は過去一度離婚しているんだけど、その理由が元旦那の無精/子症からの鬱(束縛/暴言/暴力付き)
    出会った時、元旦那は大学の助手で9歳上。自然にお互い惹かれ合って、周りに内緒でお付き合いを開始して、大学卒業後2年後に婚約、その1年後に結婚した。
    とても幸せだった。元旦那は博識で物腰も柔らかくて、重いものや面倒ごとも率先して助けてくれて、なんて素敵な人と結婚出来たんだろう!私は三国一の果報者だ!と本気で思っていた。

    結婚にあたって将来の子供の事も話した。
    子供のためにお互い検査しよう!男のブライダルチェックってどこでやればいいんだろう?って前向きに考えていて、女だけでいいよね、男は恥ずかしいんだよ、なんて言う人でもなかった。
    でもその検査で彼が無精/子症だとわかった。
    それからゆっくり坂道を転がる様に最悪の方向に進んだ。新婚気分なんてものはなかった。

    651 :スカッとする修羅場まとめ 2009/08/16(日) 08:06:25 ID:Zet9CM1K0
    >>646
    クリスマスに浮かれる街を恋人不在で一人ぼっちで歩くと
    切実に孤独感を感じるよね。
    周囲の幸せに押しつぶされそうになる。

    水商売のホステス・今キャバ嬢もみんなが里帰りする正月・恋人と
    過ごすクリスマスに自杀殳率異常に高いんだよ。
    だから、アットホームな水商売の人たちはその時期にホステスさんを
    自宅に泊めたり旅行に連れて行ったり一緒に時を過ごしたそうな・・・・。

    昔、クラブ経営してた友人談より

    342 :スカッとする修羅場まとめ 2016/09/09(金) 09:45:55 ID:wlX3JHTO0.net
    こんなスレあったんだ、書き込みさせて。
    子供が二人いて、幼児期の言っても聞いてくれない時期、片時も目が話せない事で発狂しそうだったんだ。今は二人とも小学生。

    一年ほど前、思いがけず赤ちゃんを授かった。私はたまたま仕事を辞めたばかりで夫の稼ぎだけで余裕がなく、自分も30代後半でまたあの幼児期を乗り越える自信もないが堕胎することもできず、信頼できそうな団体を通し養子縁組をした。

    赤ちゃんは幸せにやっているみたい。子供達にはこんな理由だし、顛末を話してないけど変だったとは感じていたかな。戸籍でばれないような方法もあり証拠もなくなるから、墓場までもっていく。
    赤ちゃんはかわいかったから、別れるのはつらかった。長文ごめん。

    201 :スカッとする修羅場まとめ 2016/08/29(月) 03:19:38 ID:kMvW0xaU0.net
    犬を安楽タヒさせたこと

    18歳から飼っている犬だった
    ずっと一緒に暮らしてきて本当に可愛がっていたつもりだった
    犬が11歳を過ぎた頃に心臓を悪くしてお腹に水が溜まるようになった
    そこから14歳まで定期的にお腹の水を抜きに行ったり、
    薬を飲ませていた。
    月の診察代は四万くらいだった。
    正直ワープアだったから診察代はきつくて、
    バーのバイトも掛け持ちして診察代を稼いでいた。(昼の職場には内緒で)
    犬が15歳になった時の夏から、容体が悪くなって、
    ご飯も食べられない、歩けないになってしまって、
    何日か置きに点滴に行くようになった。
    夜も心配でつきっきりで、バイトにもいけなくなった。
    月の診察代は8万になった。乳がんの腫瘍があったけど、
    心臓が悪いので手術が出来なくて放置していた。
    その腫瘍がいよいよ悪くなってきていたようだった。
    ワープアだったからろくに貯金もなかった。
    自分の食費を切り詰めて、モヤシばかり食べていた。
    犬には、できるだけ体力をつけさせたくて、ゆがいたお肉やヤギミルクを与えていた。
    起き上がれないからオムツをしていた。
    昼休みは職場から家に戻って、オムツを替えたりしていた。
    ある日家に帰ったら、血を吐いていた。
    もうだめだと思った。
    自分の体力的にも、金銭的にも限界だった。私は2ヶ月で12キロも痩せていた。
    その日は職場を早退して、犬の病院に行って、もう限界ですと言ってしまった。
    犬も、体が痛くて、だきあげると泣いた。食べたがるけどすぐ吐いてしまっていた。
    夜泣きもひどくなっていた。寝不足だった。
    その日は、家に連れて帰って、お肉を食べた。
    犬も少しだけ食べれて、おとなしく寝てくれた。
    涙しか出なくて、ずっと犬の顔を見て泣いていた。
    次の日の診察が終わる頃に連れて行って、9/3に安楽タヒさせてしまった。
    最後の診察代は請求されなかった。あの時は、本当に苦しくて、いろんなことに余裕がなかった。
    その年が明けた頃、旦那と出会って結婚してびっくりするくらい生活は楽になった。
    幸せだなって感じると、犬のことを思い出してしまう。
    犬は、まわりには老衰って伝えてある。余裕がなくて安楽タヒさせてしまったなんて誰にも言えない。

    648 :スカッとする修羅場まとめ 2015/10/15(木) 00:14:31 ID:csb
    下話含みます


    学生の頃、ゼミの先輩にキモメンな上に太ってて寡黙で周りから遠巻きにされてる人がいた
    片山のゆうちゃんに似てたので片山さんとする

    ゼミの合宿の係が一緒になったので話すようになったんだけど、
    話してみると意外とユーモアがあって聡い人だった
    思いやりがあって気が利く優しい人だと思った

    私は歴史小説と70年代~80年代洋ロックが大好きなんだけど、
    たまたま片山さんもドンピシャで同じ趣味で、
    本やCDの貸し借りをしたりして仲良くなった

    洋バンドの来日コンサートにも一緒に行ったし、お互いに美味しいもの食べるのが好きだったからグルメ巡りもしたし、
    仏教展に行って薬師如来について語り合ったりもした

    一緒にお酒を飲みに行った帰り、片山さんに好きですと言われた
    私もですと答え、付き合うようになった


    私はどちらかというと活発で社交的なタイプだったので、
    片山さんと付き合い始めたことが周りに伝わると初めは驚愕された

    でも私と付き合い始めてから片山さんは他の人に対しても素の面を見せるようになり、
    そうすると段々と周りの人も片山さんに好意的になっていって、
    いつしか幸せそうな良いカップルと言われるようになった

    片山さんと一緒にいると落ち着いたし心が温かくなって幸せだなぁと思えた


    片山さんは普段は寡黙に見えるけれども成績も良かったし
    面接や発表といったいざというときにはそれはもう別人のように雄弁に話すので、
    第一希望の就職先にあっという間に決まった

    その辺りで私を両親に紹介したいと言われ、私が大学を卒業して落ち着いたら結婚してほしいと言われた
    私はその場の流れで、はい、と答えてしまった

    704 :スカッとする修羅場まとめ 2018/04/22(日) 03:26:00 ID:lXOZwYGP.net
    修羅場っていうほど大きな出来事があったわけではない上に無駄に長いです。
    上手くまとめられずすみません。

    私にはひとまわり以上年の離れた兄がいた。兄がまだ学生の頃両親がなくなり、兄は大学を辞め働いて私を養ってくれた。
    私が高校生になった頃、兄に彼女が出来た。
    兄と私は祖父の代からの持ち家に住んでいたがしばらくして彼女も一緒に住むようになった。
    3人暮らしが始まって少し経ち、私は兄の強い希望と小さい頃からの夢もあって大学に進学した。結婚の話も出ていた2人にいつまでも頼るのは申し訳ないのでひとり暮らしがしたいと言ったが兄はそれを許さなかった。
    彼女は特に何も言わなかったが、私が入った学部は4年ではなく6年学ばなければならないことを知ると、だんだんと私への当たりが強くなった。

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