スカッとする修羅場まとめ

2chの生活板全般、カテゴリ雑談板のスレをまとめたサイトです。 鬼女、キチママ、修羅場、復讐、DQN返し、衝撃系スレがメインです。

    毒親

    779 :スカッとする修羅場まとめ 2019/05/28(火) 10:04:55 ID:dHKk7Ux4.net
    子供の誕生日に毎年実母や叔母が安くて美味しくないケーキを恩着せがましく買ってきては
    ケーキ買ってやったんだから○○しろ
    と実母と二人で子供達を使おうとするから今年は密かに子供達と好きなケーキ選んで密かにお祝いした
    義母からの子供達への焼き菓子プレゼントが届くと半分寄越せと言う実母(孫に届いたのに馬鹿じゃないの?)
    後日私の居ないのを見計らって子供を捕まえ執拗に質問して誕生日ケーキの話を聞き出し
    「私達(実母と妹)にはケーキ無いのか!」と子供にキレた挙げ句
    食べなかった私の分を苦肉の策で子供達が必タヒに差し出したら
    「私の為に買った訳でもないこんな余り物食えるか!」と言って突き返されたらしい
    その後も子供達を呼びつけては私達夫婦をディスる実母姉妹
    子供達だけ旅行に連れて行ってやるから○日予定しておけと言う実母姉妹
    以前祖母が孫を連れて行って誘拐案件になったニュースがあったけど
    うちみたいな状況だったんだって理解出来た

    居留守と無視をしたら玄関ドア壊されたから次は証拠集めて警察行く準備してる

    864 :スカッとする修羅場まとめ 2015/08/27(木) 01:51:30 .net
    おまいらの子供が俺みたいにならないよう、話豚切りだけど語らせてくれ。

    いま俺は、精神障碍2級。障碍年金2級ももらって嫁のパート代と合わせて細々暮してる。
    直接の病名は業務過負荷による鬱病。しかし、カウンセリングに通ううちに俺が極度に
    ストレスに弱い人間だったせいだと分かった。

    俺は臆病だ。実に重度の臆病者だ。
    花見でバーベキューすれば「誰の許可を得てそんな場所で(ry」といちゃもんをつけられないか
    ビクビクするし、車を運転すれば煽ってくる車がいないか常にバックミラーを見ながら
    ビクビクするし、仕事をすればミスを指摘されないかビクビクして何十回も見直して完璧の上の
    完璧を目指すし、とにかく何をしてもストレスが半端ない。
    何か、ほんの少しでも文句をつけられそうなことは心の底から勇気を振り絞ぼらないとできず、
    精神負担が半端じゃないんだ。

    そして俺の母は強烈なヒス女だった。とにかく叫ぶ。意味不明の言葉で金切り声を上げる。
    なぜヒスを起こすのかは誰にも予測不能。TVのスイッチのON/OFFの仕方が乱㬥だから
    壊れると怒り狂っていた時もあった。飯を食おうとしたときに喉が渇いてて、コップが食卓
    にないからと発狂したこともあった。冬場で炬燵に家族が入っていた時に、あとから来た母が
    アタシの座りたい場所になぜおまえがいると激怒したこともあった。
    何がヒスのスイッチなのか、どこに地雷が埋まってるのか予測不能だった。カウンセラーは
    断言はしなかったが、これが俺が臆病者になった原因なのは明らかだった。カウンセラーの
    憐れむような眼を見たとき確信した。

    147 :スカッとする修羅場まとめ 2015/09/24(木) 03:23:23 ID:HmP
    現在進行形の修羅場
    私の親は姉に厳しかった
    具体的には高校生なのに門限が5時とか家事を担当させられたりとか、料理の味にケチ付けられたりとか携帯の中身をチェックされたりとか
    あとゲームアニメは禁止。お小遣いは月1000円で、ここから洋服とか文具とか必要なもの全部買えとか
    気に入らないことがあると毆るふりされたり大きい音を立てられたりとか
    小さい時はたまに腕を引っ張られて床を引きずられたり叩かれたりしてた
    でも不思議と私には別に厳しくなかった(友達の家でお泊まりとかもokだったし)
    初めての子供で育て方が分からなくて、厳しくしすぎてそこから軌道修正できなかったんじゃないかと推理してる
    案の定姉は病んで家にこもりっきりで、私が見る限りでは楽しいことも実りもなさそうな空っぽの青春を過ごしてた
    というかいつも家にいたから私の見る限りが学校にいない時の姉の全てだったと思う
    父と母は「どうして○○(私)は社交忄生もあって多才で優秀なのにあんたはどうしようもないの」みたいな説教を姉に繰り返してた
    姉は基本的に何もせずぼんやりと暮らしてた
    ここまでが前提

    231 :スカッとする修羅場まとめ 2017/09/17(日) 16:56:41 ID:AXk
    実姉が孤独タヒしたとの連絡が来て、この前病院やら焼き場や役所や姉アパート行って色々やって来た
    うちは両親がパチカス&アル中父と㬥カメンヘラ母の、どこに出しても恥ずかしくない毒親で、実家を出た後は姉とも疎遠だった
    姉は喧嘩しつつも母親とベッタリだったし、母と姉が一緒に私を攻撃してた時期もあったので、縁切り上等だった
    両親がまとめて他界した時期には「あなたに謝りたい」とかすり寄ってきたが、謝られて許さないのも私が悪人みたいなので無視してた
    結婚出産も秘密にしてた

    病院でもどこでも姉が他界した実感が全然湧かなかったんだけど(遺体は顔確認以外見なかった)、姉のアパートを片づけてて、
    姉が去年買いだめたらしい特売シールの付いた未開封の靴下や下着や、
    チューナー付けた古い小さいブラウン管のテレビや、
    壁に貼ってある姉の勤め先の飲食チェーン店の来月のシフト表や、
    冷蔵庫にいっぱい入ってた某菓子パン(実家では毎日3食そのパンが出されて、私は心底大嫌いになったが姉は好んで食べてた)と、
    未開封のまま賞味期限切れになった牛乳やらを見ながら、

    あー姉はまだまだ生きるつもりだったんだよな、毎日毎日慎ましく暮らしながら、
    と思ったら、初めて姉がタヒんだのを実感して悲しくなった
    小さな書類棚には、通帳と印鑑と安そうな金色のネックレスと、
    私が修学旅行で姉にお土産で買った赤べこのキーホルダーがあった
    片付けるのがつらくなって、業者に頼んで後日何もかも全部引き払ってもらった

    私が学校の学芸会でお姫様の役になった時、姉が母の代わりに一生懸命衣装を作ってくれたのを思い出す
    そんなこと今まで忘れてたんだけど
    家を出るとき姉と縁を切ったことは今思い返してもしょうがないことだったと思うけど、
    何かどこかでやり直せたのかなと後悔している

    家族に心配されてるし姉ロスをどうにか吹っ切りたいわ

    68 :スカッとする修羅場まとめ 2016/10/02(日) 23:29:31 ID:msz
    母親がしんで、半年後に18歳の後妻が来てからが人生の修羅場。
    あまりにその女と合わなくて(当時10歳)、毒な父親も丸っとその女の肩を持つ。
    揃ってパチン/カス、サイマーの道をまっしぐらw

    高校行かせるどころか受験費用も勿体ないと受験すらさせてもらえずに、アルバイト、給料全額没収。

    17歳の後半、そろそろ18歳になるから、と、寮付きの仕事をひそかに見つけてアルバイト行ってきます、となにげなく家を出てそのまま行方不明になってやった。

    当時の住み処から100㌔ほど離れた地に、着の身着のまま逃げた時が最大の修羅場。
    いつ追いかけて来られるか、いつ見つかってまた地獄が始まるのかと毎日酒に逃げてました。

    今は親弟妹のいきしにすらわかりません。
    知りたくもないし。

    逃げられて良かった。
    置いてきた下の子達には申し訳ないが、自分を守る事で精一杯でしたよ。

    256 :スカッとする修羅場まとめ 2010/05/12(水) 17:29:44 ID:HlEYM4sr0
    流れ豚切り失礼。

    あるところにおばさん(現在50代)が居ました。
    彼女には娘が二人居ます。
    彼女の口癖は「子供を産まない、産めない女は生きてる価値が無い」でした。
    また、「子供の産めない女なんて離婚されて当然」とも。
    近所の小梨の奥さんのことを陰でそう罵っていました。
    数年後、そのおばさんは夫の浮氣で離婚。
    そんなおばさんの忄生格に辟易して長女は父の許に。
    その後の検査で次女は軽い発達障碍を抱えていることが発覚。
    そしていじめ→不登校。
    十数年後、長女は選択小梨で結婚。
    時同じくして次女は先天的な異常で子供が産めない体と発覚。
    ファビョったおばさんは長女夫婦に「孫も抱けないのか」と泣き落とし。
    長女夫婦に子供が出来る体か検査を受けさせました。
    結果、見事、長女夫に無精子症が発覚。
    同時におばさんは長女夫婦に絶縁されました。

    196 :スカッとする修羅場まとめ 2015/12/20(日) 18:34:09 0.net
    姉が子供を作らないと言い始めた理由で修羅場。
    我が家は姉、兄、私の三人兄弟。姉だけ、一回り年上。
    私たちの両親は、親になってはいけない人たちで、母は、子供を産むだけ産んで
    法律で許されるようになった期間にすぐ職場復帰した。
    両親は仕事とそれぞれの趣味で手一杯で、私たちにかまうことはほぼなかった。
    何で子供を産んだのか、いまだによくわからないけれど、夫婦仲はとてもよかったようだ。
    家政婦さんは雇っていたけれど、シッターではないから、オムツ換えとか、ミルクとか、
    もう少し大きくなってからは姉が通勤用自転車の前後ろに補助椅子をつけて、兄と私の送り迎えをしていた。
    入学式、卒業式、進路相談、人生の節目に保護者が必要なときは、すべて姉と、姉の彼氏が来てくれていた。
    その後、姉はその彼と結婚したが、二人の間に子供はいない。
    私ももう、結婚して子供もいるのだけれど、先日、母に「そろそろあなたも子供を…」と言われた姉が
    「私はもう、二人分、子育てしたようなもんだから、自分の子供は要らない」ともらしたのを聞いて、心底修羅場だった。
    私たちの存在が、姉の人生設計に大きく影響を及ぼしてしまったと、年末年始も、どんな顔して姉に会えばいいのかわからない。

    393 :スカッとする修羅場まとめ 2017/07/29(土) 11:12:24 ID:fH5
    父が苦手。
    育ててもらったし大学まで行かせてもらったし恩は感じてるが人間的に苦手。
    兄姉私の三人きょうだいで、兄は苦手を通り越して嫌ってる。
    なんでかというと父が私達を怒らすのが大好きだから。
    たとえば兄は腕に薄いアザがあって、服で隠れるところにあるから言わなきゃわからないのに
    父は小さい頃から兄のアザについていちいち言う。
    それで兄が怒ると「図星だからって怒るなw」とか「お前はいつまでたってもガキだな」と笑う。
    姉にも私にも同じことをする。
    私の場合はアザじゃなく、エクボをずっといじられてきた。
    「顔に穴があいてるぞ」「笑うと穴があくから笑うな」「笑顔が駄目な女は価値がない」
    怒ったり泣いたりすると父が喜ぶだけなので、なるべく無反応にしてるけど
    子供の時はつい泣いてしまう時があって辛かった。
    父は「可愛いからからかうんだ」「愛情表現だ」と言うが
    伝わらない愛情表現に何の意味があるのかわからない。

    334 :スカッとする修羅場まとめ 2009/07/24(金) 02:11:48 ID:WKKRVojKO
    昔から意地悪だった実母。今や史上最強の忄生格ブス。口から出る言葉は、愚痴悪口不平不満ヒステリー。
    おかげで成人して家を出るまでこっちが精神不安定だったわ。父親にも、庇うどころか毆る蹴るされた。
    妹は小さいときから胡麻擂りで、両親や先生に取り入るのが特技だった。
    現在、父親の会社が倒産して、母親は貧乏暮らし。父親はそんな忄生格ブスの母親に責められ不幸な毎日。
    妹はマニュアル通り公務員と結婚したのに、散財する旦那でその日暮らしで荒んだ生活、尚且つ貧乏な実家に昔通り寄生。
    不幸な子供時代を送った私は稼ぎのいい穏やかな年下旦那と結婚し、裕福な生活。
    正直、昔を思い出すと助けたい気持ちが消える。
    父親以外の二人の忄生格は昔のままだから。
    相変わらず意地悪母&損得計算妹。
    私美人じゃないけど、シンデレラを地で行く様な一家。

    68 :スカッとする修羅場まとめ 2015/12/07(月) 07:43:12 ID:I6Q
    私はいわゆる独居老人にあたるらしい。
    夫とタヒ別、息子二人はそれぞれ別に所帯を持っている。
    息子家族とはほとんど交流は無い。

    それは私が望んだ事。私はずっと一人暮らしをしたかった。

    親は今風で言うと毒親で、親から逃げたくても、なかなか逃げられなかった。
    「男の甲斐忄生」と言い放ち浮氣を繰り返す女癖の悪い父。
    「お前(私)のため」と言って離婚せず、クドクド私に嫌味を言い続け、
    言いがかりをつけては私を叩いた教師の母。
    見栄っ張りの親のおかげで私は大学まで出してもらった。
    卒業後、就職して自分でお金を稼げるのが嬉しくて楽しかった。
    当時、女が入れる社員寮が会社にはなく、実家を出て暮らすのも親は許さないので、
    実家で暮らしていた。

    今はタヒ語となった結婚適齢期の終わり頃、結婚しないのは許さないと
    親にわあわあ連日、喚かれ仕方ないので、見合いして結婚した。
    相手は勤め先が良いだけが取り柄の軟弱男。
    私は何にも自分の頭で考えていなかった。ただただ親の言うなりに生きていた。

    結婚して子供が出来て、退職した。出産後、会社に戻れることは不可能だった。
    男女雇用機会均等法なんかできる前の時代だから、そんなものだった。
    舅姑は私をイビッたけれど、夫は何の頼りにもならず、
    私はひたすら舅と姑のタヒを願った。
    結婚して26年、最後に残った姑が亡くなった。

    結婚生活はただ忙しいだけ。
    インフルエンザで寝ていても、夫は医者には連れて行ってくれなかった。
    「自分は仕事があるから無理だ」「タヒぬくらいなら自分(私)で救急車でも呼ぶだろう」と
    夫は思っていたのだろう。私に対して悪意がある人ではなかった。気が付かないだけ。
    ただただ、自分が妻の介抱をするなんてありえなかっただけだろうから、
    夫を恨む気持ちもなかった。好意から「これを食べたらいいよ」と
    高熱で寝ていた私の枕元にバラバラと一口チョコレートを置いて夫は出勤していった。
    私は黙って色とりどりの一口チョコレートを見ていた。そして、這って台所に行き、
    買ってあったポカリスエットを飲んだ。
    今もコンビニに行くとレジの近くに置いてあるそのチョコレートとポカリスエットを見ると
    結婚生活を思い出す。

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