スカッとする修羅場まとめ

2chの生活板全般、カテゴリ雑談板のスレをまとめたサイトです。 鬼女、キチママ、修羅場、復讐、DQN返し、衝撃系スレがメインです。

    これからの幸せ


    307 :スカッとする修羅場まとめ 2021/07/06(火) 00:41:51 ID:di.vn.L1
    自分が辛い原因が父ではなく母だと知ったときが衝撃だった。

    父は、仕事は真面目だが酒とギャンブルばかりで、自分が小学生
    くらいのころから家には真夜中にしか帰ってこないし、土曜日曜
    は休日出勤だの飲みに行くだの趣味の草野球だの出かけて遊んで
    もらったことはほとんどない。

    母は、そんな中、パート勤めで家を支えていた。ただ、末っ子の
    自分には弱いところを出してきて「父は家にあまりお金を入れて
    くれないの」「酒だけじゃなく浮氣もしているの」「お母さんタヒ
    んでしまいたい」と愚痴をこぼすので、子供心に「お母さんは僕
    が助けてあげる」みたいなことを小学生の頃から言っていた。

    交流のない父と、泣いている母、自分は当然母のことを慕い、父
    を必要以上に憎むという構図が出来上がった。自分は3兄弟の
    末っ子だが、兄二人が大学に行かせてもらったのに、自分には
    「父がお金を入れてくれない、大学の金が出せない、進学は我慢
    してくれ」と泣きながら母に言われ、高卒即就職した。


    450 :スカッとする修羅場まとめ 
    5年前、女房が男を作って、4歳の息子を残して家出した。母親を求めて泣きわめく息子を
    最初は正直疎ましいと思った。1週間もすると、二人とも現実を受け入れなきゃならないと
    痛感するようになり、そのうちに男どうしの生活もうまく回り始めた。

    慣れない家事をやってるうちに、何もかも女房任せにしていた自分も悪かったかなとか思う
    ようになった。1年もすると、料理や家事もそれなりに上手くなり、息子とも最高に仲良くなれた。

    突然、女房に雇われたという弁護士から連絡が入った。俺と正式に離婚して、さらに息子を
    引き取りたいと言う。なんでも女房の相手は結構な金持ちらしく、あちらも奥さんとの離婚が
    やっと成立したそうだ。ふざけるなと言う俺に、裁判をすれば親権は100%母親に行くと弁護士は
    強気だった。

    その夜、風呂に入りながら息子に「ママがお前と暮らしたいって言ってるけど、どうする?」と
    聞いてみた。案の定、息子は目を輝かせながら「いつ?いつ?」とはしゃいだ。息子が嫌がったら
    絶対に渡さないと思っていたけど、あの目を見たら、俺と暮らそうとは言えなかった。

    いろんな手続きがあって、息子は(元)女房のところへ行ってしまった。数週間後、俺の口座に
    大層な金額が振り込まれていた。その日に届いた手紙には、息子は新しい父親に懐いている
    から、もう会わないで欲しいと書かれていた。

    ドブに捨てるような使い方をしてやろうかとも思ったが、その金には手を付けないことにした。
    息子が成長して免許を取ったら、車でも買ってやろう。それまで俺のことを覚えていてくれる
    だろうか。




    684 :スカッとする修羅場まとめ 2016/03/29(火) 13:53:45 ID:8Bv
    吐くまで殴られても耐えた
    「お前なんか生まなきゃよかった」「くたばれ」と言われても耐えた
    謙遜のつもりか分からないけど三者面談で先生が私を褒めて下されば遮って唾が飛ぶほど私の悪口を言われても耐えた
    私が友達との待ち合わせに向かおうとしたら玄関の前で遮って邪魔して行かせてくれなかったことも耐えた
    私の80点のテストは溜息吐いて破り捨てるのに弟の70点のテストは頭を撫でて褒めることも耐えた
    私の買ってきた服のセンスを晩御飯の間中ネチネチと馬鹿にされることも耐えた
    専業主婦の癖に私に家事を押し付けてきて弟には何もさせないことも耐えた
    私の携帯や私物はあれこれ理由付けて没収する癖に私より成績悪い弟には何もしないのも耐えた

    大学受験に向けて勉強しようと思った頃に
    「おばあちゃんの介護があるから進学は我慢してほしい」
    「介護が終わって、結婚して、子育てが終わって、それから通いたければ学校に通えばいい」
    と言われたのは流石に我慢できなかった
    なんで私だけが辛い思いしなきゃいけないか納得できなかった

    家にある母の私物、母の服、全部ハサミとトンカチで壊してやった
    母は半狂乱になって「保健所に入れてやる!保健所に入れてやる!」と叫んで叔父さんと祖父母を電話で家に呼んだ
    咎められたのは母だった。殴り飛ばされて床に叩き付けられて震える母を見た時、お腹の底から笑いが止まらなくて高笑いしてしまった
    叔父さんはこんな私を気味悪がらずに話しかけて下さった
    今まで気付いてやれなくてすまなかった、って仰られて、こんな私のために学費を負担して下さると仰った
    それから受験までは祖父母の家で過ごす時間の方が長かった

    最初は心療内科に通いながら通学してたけど、大学で過ごす時間が楽しくて体も心も元気になっていった
    都内でなんとか職にあり付けて生活してる今、もう母に会う理由はない
    叔父に学費を返したいけど断られている

    我慢してやる必要なんてなかったんだなーと過去を振り返ってつくづく思う


    450 :スカッとする修羅場まとめ 
    5年前、女房が男を作って、4歳の息子を残して家出した。母親を求めて泣きわめく息子を
    最初は正直疎ましいと思った。1週間もすると、二人とも現実を受け入れなきゃならないと
    痛感するようになり、そのうちに男どうしの生活もうまく回り始めた。

    慣れない家事をやってるうちに、何もかも女房任せにしていた自分も悪かったかなとか思う
    ようになった。1年もすると、料理や家事もそれなりに上手くなり、息子とも最高に仲良くなれた。

    突然、女房に雇われたという弁護士から連絡が入った。俺と正式に離婚して、さらに息子を
    引き取りたいと言う。なんでも女房の相手は結構な金持ちらしく、あちらも奥さんとの離婚が
    やっと成立したそうだ。ふざけるなと言う俺に、裁判をすれば親権は100%母親に行くと弁護士は
    強気だった。

    その夜、風呂に入りながら息子に「ママがお前と暮らしたいって言ってるけど、どうする?」と
    聞いてみた。案の定、息子は目を輝かせながら「いつ?いつ?」とはしゃいだ。息子が嫌がったら
    絶対に渡さないと思っていたけど、あの目を見たら、俺と暮らそうとは言えなかった。

    いろんな手続きがあって、息子は(元)女房のところへ行ってしまった。数週間後、俺の口座に
    大層な金額が振り込まれていた。その日に届いた手紙には、息子は新しい父親に懐いている
    から、もう会わないで欲しいと書かれていた。

    ドブに捨てるような使い方をしてやろうかとも思ったが、その金には手を付けないことにした。
    息子が成長して免許を取ったら、車でも買ってやろう。それまで俺のことを覚えていてくれる
    だろうか。




    307 :スカッとする修羅場まとめ 2021/07/06(火) 00:41:51 ID:di.vn.L1
    自分が辛い原因が父ではなく母だと知ったときが衝撃だった。

    父は、仕事は真面目だが酒とギャンブルばかりで、自分が小学生
    くらいのころから家には真夜中にしか帰ってこないし、土曜日曜
    は休日出勤だの飲みに行くだの趣味の草野球だの出かけて遊んで
    もらったことはほとんどない。

    母は、そんな中、パート勤めで家を支えていた。ただ、末っ子の
    自分には弱いところを出してきて「父は家にあまりお金を入れて
    くれないの」「酒だけじゃなく浮氣もしているの」「お母さんタヒ
    んでしまいたい」と愚痴をこぼすので、子供心に「お母さんは僕
    が助けてあげる」みたいなことを小学生の頃から言っていた。

    交流のない父と、泣いている母、自分は当然母のことを慕い、父
    を必要以上に憎むという構図が出来上がった。自分は3兄弟の
    末っ子だが、兄二人が大学に行かせてもらったのに、自分には
    「父がお金を入れてくれない、大学の金が出せない、進学は我慢
    してくれ」と泣きながら母に言われ、高卒即就職した。


    684 :スカッとする修羅場まとめ 2016/03/29(火) 13:53:45 ID:8Bv
    吐くまで殴られても耐えた
    「お前なんか生まなきゃよかった」「くたばれ」と言われても耐えた
    謙遜のつもりか分からないけど三者面談で先生が私を褒めて下されば遮って唾が飛ぶほど私の悪口を言われても耐えた
    私が友達との待ち合わせに向かおうとしたら玄関の前で遮って邪魔して行かせてくれなかったことも耐えた
    私の80点のテストは溜息吐いて破り捨てるのに弟の70点のテストは頭を撫でて褒めることも耐えた
    私の買ってきた服のセンスを晩御飯の間中ネチネチと馬廘にされることも耐えた
    専業主婦の癖に私に家事を押し付けてきて弟には何もさせないことも耐えた
    私の携帯や私物はあれこれ理由付けて没収する癖に私より成績悪い弟には何もしないのも耐えた

    大学受験に向けて勉強しようと思った頃に
    「おばあちゃんの介護があるから進学は我慢してほしい」
    「介護が終わって、結婚して、子育てが終わって、それから通いたければ学校に通えばいい」
    と言われたのは流石に我慢できなかった
    なんで私だけが辛い思いしなきゃいけないか納得できなかった

    家にある母の私物、母の服、全部ハサミとトンカチで壊してやった
    母は半狂乱になって「保健所に入れてやる!保健所に入れてやる!」と叫んで叔父さんと祖父母を電話で家に呼んだ
    咎められたのは母だった。殴り飛ばされて床に叩き付けられて震える母を見た時、お腹の底から笑いが止まらなくて高笑いしてしまった
    叔父さんはこんな私を気味悪がらずに話しかけて下さった
    今まで気付いてやれなくてすまなかった、って仰られて、こんな私のために学費を負担して下さると仰った
    それから受験までは祖父母の家で過ごす時間の方が長かった

    最初は心療内科に通いながら通学してたけど、大学で過ごす時間が楽しくて体も心も元気になっていった
    都内でなんとか職にあり付けて生活してる今、もう母に会う理由はない
    叔父に学費を返したいけど断られている

    我慢してやる必要なんてなかったんだなーと過去を振り返ってつくづく思う

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