スカッとする修羅場まとめ

2chの生活板全般、カテゴリ雑談板のスレをまとめたサイトです。 鬼女、キチママ、修羅場、復讐、DQN返し、衝撃系スレがメインです。

    戦争


    137 :スカッとする修羅場まとめ 2014/06/03(火) 11:35:15 ID:v71Ts54j
    今から20年以上前の修羅場。
    当時自分は大学生で実家から長距離の所に住んでて、長期休暇の時だけ帰ってた。
    実家には家族の他に敷地内に叔父が別宅建てて住んでた。
    この叔父、戦争中にちょっと精神やられちゃって結婚とかしないでウチの農作業とか手伝いながら生活してたんだ。
    本人は病院にちゃんと通ってて、精神安定のためにキリスト教の洗礼とか受けてたらしい(よくわからない、ごめん)
    ここまで前提


    635 :スカッとする修羅場まとめ 2015/05/24(日) 19:24:10 ID:6Zi
    2-1 父と娘が「墓場まで持っていった黒い話」!
    昔のことなので、説明が多くてごめんよ。

    約60年前。太平洋戦争が終わったのが70年前だから、
    まだ日本中が貧しくて、食べていくのが精いっぱいだった時代。
    マリコ(仮名)が学校を卒業して、就職した。
    マリコは長女で、食べ盛りの妹弟がいっぱいいる。
    自分が就職したら家にお金を入れて、両親にも一息つかせてあげられる。

    待望の給料日。お金の入った封筒を大事にバッグに入れて(昔の給料は手渡し)、
    会社を出ると、物陰から父親がぬっとあらわれた。
    今も昔も、ろくでなしの父親が子供の給料を巻き上げていく話はよくある。
    マリコもそれかと思って身構えたが、自分の父親は真面目な勤め人で、
    酒も賭け事もしない。
    父親はもじもじしながら一言。
    「なあマリコ、ケーキおごってくれんか」
    ズコーとなるマリコ。

    子沢山の家で、父親の稼ぎは全額生活費。息抜きに使えるお金は一円もない。
    そして、お酒も当時流行していたマージャンもやらない=社会人としてダメ、
    という世間の風潮で、職場で友達もいない。
    せめて甘いものが食べたい……というわけで、マリコにたかりに来たのだった。
    父と娘は生まれて初めて喫茶店に入り、差し向かいでショートケーキ
    (昔はケーキというとシュークリームかショートケーキの二択)
    とコーヒーをいただいた。


    733 :スカッとする修羅場まとめ 2013/06/25(火) 18:21:47 ID:274pfamI
    軍人つながりで俺も個人的なプチ修羅場を

    俺の爺ちゃん90歳目前なんだが、去年の暮れに体調崩して一時的にボケが酷くなった(今は元に戻ってる)
    ちょうどその頃尖閣問題でメディアが沸いていたからか、寝かせようとすると「電気を消しなさい、爆撃機が来る」とか
    「アメリカと戦争が始まる、勝ち目は無いがやらなければいけない」など、記憶が第二次大戦前後に飛ぶようになった
    戦争以外でも「今日は○○(県庁所在地、ウチの住所ではない)に行ったらダメ、賃上げデモがあるから危ない」
    などと言うので調べてみたら   本   当   に   その記録があった

    そんなこんなである程度慣れ、元気になってくれるかねと思いつつその日も爺ちゃんを寝かせようとしたら

    「俺くん、庭に爺ちゃんを捕まえに来た奴のタヒ体があるから、臭わないように物置に隠さないといけない」

    と言った
    ウチの爺ちゃんは陸軍だったが、戦闘に直接関わる任務ではない+任地はずっと本土だったから敵と交戦してるはずがない
    ボケてはいたが記憶の内容は実際に経験したことばかりだったから妄想だとも考え難い(爆撃機云々は本当に大空襲があった)
    じゃあ爺ちゃんが杀殳した奴ってのは一体何者だ?と顔には出さなかったが内心パニックになった
    その時は俺一人で爺ちゃんを世話してたので、家族にはそのことをまだ話していない

    これが1つ目の修羅場
    2つ目は、↑を終戦記念日に書こうと思ってたら食中毒でぶっ倒れて頭を強打、生まれて初めて救急搬送
    ぶっ倒れる瞬間を偶然見ていた両親と爺ちゃんが大変心配したという情けない修羅場w


    402 :スカッとする修羅場まとめ 2015/11/25(水) 11:21:41 ID:XDn
    祖父の写真を見つけて、衝撃を受けた話。

    私の祖父はモダンな人で、戦前の農村でバイオリンを習うような優男(親戚談)だった。
    手先が細かく、カメラや時計の修理や裁縫なんかも得意だったそうで、変わった人だと言われていたらしい。
    背丈はあったがぜんそく持ちで、終戦間際まで徴兵を免れていたものの、村で一番の庄屋さんの長男が
    お国のために行かないなんて、と非難されて、泣く泣く出兵。
    手先が得意だからという理由で飛行機の整備をやらされたりしていたらしい。
    その後、南の島で自分の隊が全滅し、たまたま伝令に出ていた祖父だけ生き残って捕虜に。

    が、祖父はすごく社交的な人だったので、イギリス兵とすぐに仲良くなり、服を縫ってやる代わりに
    英語を教えてもらうようになった。
    もちろん当時は非国民!と罵る人もいたそうだけど、そのうち双方から認められて
    他の日本兵捕虜とイギリス兵の間の橋渡し役として活躍したのだそう。

    日本に帰還した兵士のほとんどが、ぼろぼろの軍服でうなだれて帰ってきたそうだが、
    祖父は別れ際にイギリス兵にもらった白に金ボタンの礼服wでさっそうと佐世保港に現れ、
    迎えに来た親族の度肝を抜いたそうだw


    この前の連休に帰省した時に、祖父と同じ収容所にいた人の身内からそんな祖父の思い出話を聞いて
    その後、蔵の掃除をしたら、終戦直後の祖父のアルバムが出てきた。
    アメリカ兵が乗るハーレーのサイドカーに祖父がちょこんと乗った写真とか、例の白い礼服を着た祖父の
    得意げな写真とか、アメリカ兵に混じってビリヤードをする祖父の写真とか・・・
    英語ができるということで、終戦直後にまた色々と人脈を作って可愛がってもらっていたらしい。
    ここまで書いたら本人特定されるかな?
    この写真テレビに出したらすごく受けそうだなぁと思ったw

    194 :スカッとする修羅場まとめ 2011/05/03(火) 21:46:47 ID:gsHmsVal
    先月、祖母が亡くなりました。89歳でした。
    孫の中では私が一番年下なせいか(父が末っ子)、いつも私は「小さい子」扱いで可愛がってもらってました。
    「○ちゃん、お腹空いてない?おやつあるよ、羊羹もきんつばもあるよ。ばあちゃんちにあるものなんでもお食べ」
    といつも言われていました。和菓子があまり好きでない私は、いつもちょっと困ってました。
    ひ孫もいるけれど、晩年に痴呆の症状が出てきていた祖母は、ひ孫のことを私の名で呼んだりしていました。
    きっと私のイメージはいつまでもそのように「小さい子」だったのでしょう。

    もういよいよ危ないというとき、両親と共に病院になんとか間に合い、祖母と話ができました。
    祖母は父に、母に、何度も何度もお礼を言っていました。
    けれど、私の顔を見るなり急に動転しだしたのです。

    「○ちゃん、お腹空いてない?お腹空いてない?大丈夫?お腹空いてない?」

    そればかりを繰り返すようになった祖母・・。
    私が「大丈夫だよ、おなかいっぱいだよ。ご飯食べたばかりだよ」と言うと、心底ほっとした顔をしてました。
    父が「母さん、棚に羊羹があったろう。あれを食べたから大丈夫だよ」と目に涙を浮かべながら言いました。
    「そうかい、羊羹あったかい。それじゃ安心だ。・・○ちゃん、お腹空いてない?大丈夫?」
    同じ会話をずっと繰り返し、しばらくして祖母は静かに眠り、そのままずっと眠りにつきました。

    父から、祖母は戦中・戦後の貧しさの中でわが子を亡くした人であったこと、弱ったわが子(父の姉)が
    地主さんから恵んでもらった羊羹で助かったことがあることを教えてもらいました。

    437 :スカッとする修羅場まとめ 2016/11/22(火) 22:43:49 ID:N2K
    最近、世の中がきな臭いな、って思う。自分は勝手だけど戦争が起こらないでほしいって
    常々考えている。なぜなら私の苦労の一部が第二次世界大戦が遠因だから。
    汚い話もあるので注意。

    まず祖父母の結婚がまずかった。
    祖父と本当に結婚する相手は祖母の従姉妹だったんだけど、出征が近くなって急に結婚することになった。
    しかし従姉妹は祖父を嫌って逃亡、代わりに祖母が結婚させられた。
    しかし婚家は従姉妹が良かったとチクチク祖母をつつくし、相談しようにも夫は結婚式→新婚旅行と言う名の
    懐妊のためだけの遠出→夫婦として絆も出来ず夫は出征。
    まあその状態で妊娠してて、しかもいびられてたらおかしくなるよね。生まれた父(長男)を溺愛した。
    溺愛した長男は見事にクズに育ちました。

    ありがたいことに祖父は帰ってきてくれたけど、祖母との仲はあまり良くなかった。ただ叔父がいるんだけど
    この二人は戦争後に生まれていて祖父の目があったから割とまともだった。

    クズな父は長男教で育っていて、配偶者も同じ長男教の奴隷気質の嫁をもらった。
    父にとって女はみな「自分の面倒を見るべきもの」。二人姉妹だけど姉は長女ということでまだましだけど
    次女の私は完璧奴隷でしたよ。なにせ父が小用でこぼしたらそれを拭くのも当たり前、自分の小用踏んづけて
    「お前がちゃんとしないから俺の靴下が濡れた!」と毆ってくる。
    「腹が減った、ラーメン作れ」って小学1年の子どもに命令するのよ。ガスや火傷に怯えながら、でも毆られるのも
    怖くって一生懸命作った。初めて作ったラーメンの感想は
    「麺茹ですぎ。しかもなんでインスタントなんだ、生ラーメンで作れ」だった。
    母はそれを見て「なんでお前はお姉ちゃんみたいにできないの!お父さんがかわいそう!」と叫んだ。
    あいつのために何百回ラーメン作らされたんだろう?奴が私に作ったことなんか一回もないのに。

    「お姉ちゃんと違ってお前はダメだから。せめて家事や気遣いくらい覚えろ」というのが両親の言い分。
    姉もそんな風に育てられてまともに育つわけないのよね。私のことをいつも見下していた。
    本当にドクズだったし、毒親だったわ。

    すいません、続きます


    635 :スカッとする修羅場まとめ 2015/05/24(日) 19:24:10 ID:6Zi
    2-1 父と娘が「墓場まで持っていった黒い話」!
    昔のことなので、説明が多くてごめんよ。

    約60年前。太平洋戦争が終わったのが70年前だから、
    まだ日本中が貧しくて、食べていくのが精いっぱいだった時代。
    マリコ(仮名)が学校を卒業して、就職した。
    マリコは長女で、食べ盛りの妹弟がいっぱいいる。
    自分が就職したら家にお金を入れて、両親にも一息つかせてあげられる。

    待望の給料日。お金の入った封筒を大事にバッグに入れて(昔の給料は手渡し)、
    会社を出ると、物陰から父親がぬっとあらわれた。
    今も昔も、ろくでなしの父親が子供の給料を巻き上げていく話はよくある。
    マリコもそれかと思って身構えたが、自分の父親は真面目な勤め人で、
    酒も賭け事もしない。
    父親はもじもじしながら一言。
    「なあマリコ、ケーキおごってくれんか」
    ズコーとなるマリコ。

    子沢山の家で、父親の稼ぎは全額生活費。息抜きに使えるお金は一円もない。
    そして、お酒も当時流行していたマージャンもやらない=社会人としてダメ、
    という世間の風潮で、職場で友達もいない。
    せめて甘いものが食べたい……というわけで、マリコにたかりに来たのだった。
    父と娘は生まれて初めて喫茶店に入り、差し向かいでショートケーキ
    (昔はケーキというとシュークリームかショートケーキの二択)
    とコーヒーをいただいた。


    137 :スカッとする修羅場まとめ 2014/06/03(火) 11:35:15 ID:v71Ts54j
    今から20年以上前の修羅場。
    当時自分は大学生で実家から長距離の所に住んでて、長期休暇の時だけ帰ってた。
    実家には家族の他に敷地内に叔父が別宅建てて住んでた。
    この叔父、戦争中にちょっと精神やられちゃって結婚とかしないでウチの農作業とか手伝いながら生活してたんだ。
    本人は病院にちゃんと通ってて、精神安定のためにキリスト教の洗礼とか受けてたらしい(よくわからない、ごめん)
    ここまで前提


    733 :スカッとする修羅場まとめ 2013/06/25(火) 18:21:47 ID:274pfamI
    軍人つながりで俺も個人的なプチ修羅場を

    俺の爺ちゃん90歳目前なんだが、去年の暮れに体調崩して一時的にボケが酷くなった(今は元に戻ってる)
    ちょうどその頃尖閣問題でメディアが沸いていたからか、寝かせようとすると「電気を消しなさい、爆撃機が来る」とか
    「アメリカと戦争が始まる、勝ち目は無いがやらなければいけない」など、記憶が第二次大戦前後に飛ぶようになった
    戦争以外でも「今日は○○(県庁所在地、ウチの住所ではない)に行ったらダメ、賃上げデモがあるから危ない」
    などと言うので調べてみたら   本   当   に   その記録があった

    そんなこんなである程度慣れ、元気になってくれるかねと思いつつその日も爺ちゃんを寝かせようとしたら

    「俺くん、庭に爺ちゃんを捕まえに来た奴のタヒ体があるから、臭わないように物置に隠さないといけない」

    と言った
    ウチの爺ちゃんは陸軍だったが、戦闘に直接関わる任務ではない+任地はずっと本土だったから敵と交戦してるはずがない
    ボケてはいたが記憶の内容は実際に経験したことばかりだったから妄想だとも考え難い(爆撃機云々は本当に大空襲があった)
    じゃあ爺ちゃんが杀殳した奴ってのは一体何者だ?と顔には出さなかったが内心パニックになった
    その時は俺一人で爺ちゃんを世話してたので、家族にはそのことをまだ話していない

    これが1つ目の修羅場
    2つ目は、↑を終戦記念日に書こうと思ってたら食中毒でぶっ倒れて頭を強打、生まれて初めて救急搬送
    ぶっ倒れる瞬間を偶然見ていた両親と爺ちゃんが大変心配したという情けない修羅場w


    402 :スカッとする修羅場まとめ 2015/11/25(水) 11:21:41 ID:XDn
    祖父の写真を見つけて、衝撃を受けた話。

    私の祖父はモダンな人で、戦前の農村でバイオリンを習うような優男(親戚談)だった。
    手先が細かく、カメラや時計の修理や裁縫なんかも得意だったそうで、変わった人だと言われていたらしい。
    背丈はあったがぜんそく持ちで、終戦間際まで徴兵を免れていたものの、村で一番の庄屋さんの長男が
    お国のために行かないなんて、と非難されて、泣く泣く出兵。
    手先が得意だからという理由で飛行機の整備をやらされたりしていたらしい。
    その後、南の島で自分の隊が全滅し、たまたま伝令に出ていた祖父だけ生き残って捕虜に。

    が、祖父はすごく社交的な人だったので、イギリス兵とすぐに仲良くなり、服を縫ってやる代わりに
    英語を教えてもらうようになった。
    もちろん当時は非国民!と罵る人もいたそうだけど、そのうち双方から認められて
    他の日本兵捕虜とイギリス兵の間の橋渡し役として活躍したのだそう。

    日本に帰還した兵士のほとんどが、ぼろぼろの軍服でうなだれて帰ってきたそうだが、
    祖父は別れ際にイギリス兵にもらった白に金ボタンの礼服wでさっそうと佐世保港に現れ、
    迎えに来た親族の度肝を抜いたそうだw


    この前の連休に帰省した時に、祖父と同じ収容所にいた人の身内からそんな祖父の思い出話を聞いて
    その後、蔵の掃除をしたら、終戦直後の祖父のアルバムが出てきた。
    アメリカ兵が乗るハーレーのサイドカーに祖父がちょこんと乗った写真とか、例の白い礼服を着た祖父の
    得意げな写真とか、アメリカ兵に混じってビリヤードをする祖父の写真とか・・・
    英語ができるということで、終戦直後にまた色々と人脈を作って可愛がってもらっていたらしい。
    ここまで書いたら本人特定されるかな?
    この写真テレビに出したらすごく受けそうだなぁと思ったw

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