スカッとする修羅場まとめ

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    祖母

    422 :スカッとする修羅場まとめ 2014/05/29(木) 22:30:22 ID:???
    今日あった事。
    ビックリし過ぎて未だに若干挙動不審。

    今日、夕方にスーパー行ったら、母がいた。
    (徒歩15分くらいの所に住んでる。)
    「こっちのスーパー来るなんて珍しいな~」とは思いつつ、
    「何買ってんの~?何かいるならメールしてくれれば買って行ったのに~」
    と近寄ったら。

    何か怪訝な顔してんの。
    そういや、母がこんな洋服着てるの見たことない。
    「もしや浮気相手と一緒か!?」とか家庭板脳炸裂しつつ、「どうしたの?」って声かけたら。

    「どちらさまでしょうか…」だって。
    よーーーく顔見たら知らない人だった。

    知らない人だった。って書いたけど、どう見ても母だった。
    週一で会ってる実の娘が、見間違うレベルで。
    見た目は99%母だったけど、声だけはちょっと違ったから引き下がった。

    「世の中には3人自分に似た人がいる」とは言うけど、同じ町内会?にいるとは…。
    母とその人がバッティングする事あるのかな。
    どういう気分になるんだろう。

    839 :スカッとする修羅場まとめ 2015/05/27(水) 20:08:52 ID:ZXxm3Yp5.net
    数年前の事になりますが
    90近い祖母を車で医者に連れて行った帰り道の話
    祖母を助手席に乗せて走っていて、家まで後5分程度まで来た時
    それまで黙って乗っていたのに飽きてきたのか、いきなりサイドブレーキを触り
    「これあげなくていいの?あげとく?」と叫び始めた
    いつも周りに触らないでと言ってあってそんなの初めてだった
    耳が遠いので祖母は自然と声が大きくなる、そして「触らないで!」と言っても聞こえない

    そしてそんなときに原チャリ集団に囲まれた(田舎なので珍走モドキがいる)
    ここで何かあれば原チャリ巻き添えにしてしまうと焦っているのに、奴らは面白がり囲んで車に触る奴までいた
    申し訳ないが祖母の手を二回払い除けたらわかってくれた
    前後に車は無かったが、道路横が低くなっているのでよくて転がり落ちる
    最悪原チャリ巻き込んでしまうと一人で修羅場だった

    あの時は精神的に疲れたよ

    789 :スカッとする修羅場まとめ 2018/05/08(火) 11:06:11 ID:50ndnYNj.net
    祖母の葬儀の際に、従兄弟の嫁の両親がものすごくよく働いてくれた。
    何者かは名乗らずにお茶だしやら挨拶やらを親戚の人間にし、
    喪主の叔父にはあれしろこれしろと親戚の前で指示出し。
    出棺の際には外孫の男手を断って自らが率先して運んでってくれた。
    葬儀終了後の食事の際には上座に座り
    親戚一同が帰る際には本日は誠にありがとうございましたーと挨拶をしてくれた。
    確かに叔父夫婦は初めてのことであたふたしてて頼りなかったかもしれないけど
    いくらなんでも出しゃばり過ぎじゃないか。
    叔父たちが親族に紹介すべきだったのはわかるけど、
    そこまで気がきくフリしてるなら自分から何者か名乗ってくれないか。
    叔父に指示してくれるのもありがたいけど
    喪主の立場も考えて奥でやってくれてもよかったんじゃないか。
    出棺は流石にやりすぎだろう
    あんたは外孫より近しい存在なのか。
    食事の時も喪主は挨拶まわりするから上座である必要はないかもしれないけど
    従兄弟夫婦より上座なのはおかしいだろ。
    帰りの挨拶も別にあなた方の為に来たわけでもないし
    家族葬なんだからみんなあんたらより近親者だよ。
    よかれと思ってやってくれたのかもしれない。
    でも親戚一同もやもやした葬式になりました。

    555 :スカッとする修羅場まとめ 2015/07/09(木) 10:24:24 ID:k57
    現時点での最大の修羅場。
    詳しく書くと恐ろしい事になるので、なるべく簡単にまとめる。


    小学校一年の時、虐めにあった。
    小一の子どもがやるとは思えないような、まるで今の中高生の子達がやるみたいな酷い内容の虐めだった。
    詳細は省くが、性.的なもの以外は粗方受けていた。多分、高学年まで一緒にいたらそれもされていたと思う。
    毎日が地獄だった。
    しかもタイミングとは残酷なもので、私が小学生になったと同時に父方祖母が同居する事になった。
    両親や年の離れた姉の帰りが遅く、鍵っ子になる私のシッター役を買ってでたそうだが、この婆さんに虐待を受けていた私にとっては恐怖しかなかった。
    婆さんのせいで両親ですら信用できなかった当時、誰にも自分の現状を吐露できず、内外に敵しかいないと絶望した私が最後に選んだ道は、自杀殳だった。
    手首を切ったり飛び降りたりを何回か試みた。
    結局最後の一歩を踏み出す勇気がなく全て諦めたのだけれど、タヒぬことしか考えていなかったあの当時が一番の修羅場。
    今思い返せば、小一で何度も自杀殳未遂繰り返したり、虐めを苦に自杀殳した子の話をニュースを見て「なんて勇気のある子なんだろう」と羨ましく思っていたあの頃の自分は、正気じゃなかったんだろうなぁ。

    ちなみに、その後虐めは3年後に転校で、祖母とは8年後に同居解消となりました。
    そこまでの流れが、修羅場の大筋。

    113 :スカッとする修羅場まとめ 2018/04/20(金) 12:06:06 ID:IQ0
    祖母は足があまり良くないが買い物が大好きで、ほとんど毎日母が車でスーパーまで連れて行ってた。
    私が車の免許を取ってからは私が乗せて行ってたりもした。
    買い物が大好きと言っても、ただのスーパーで食材を買うだけ。母が買って来てあげると言った事もあったみたいだけど、自分で買いたいんだって言ってた。
    買い物の時、祖母は毎回、祖父の好物を1品か2品買って帰る。普通のオカズもあるんだからそんなに気を使う必要あるのか?と思ってたけど、私たちが口出しする事でもないから容認してた。
    祖父は10年以上前に亡くなっているけど、それでもいつも「これはおじいちゃんが好きだから。」と言って祖父の好物を買っていた。
    そんな祖母が殆ど寝たきりになってしまって、それからは、さすがに母が買い物に行ってあげる様になってたんだけど、相変わらず祖父の好物を買って来てと言ってた。
    ある日、祖母に仏壇に置いた祖父の好物がそろそろ傷むから捨ててと頼まれた。
    その時はカツオのタタキだったんだけど、捨てる時、なんと言っていいか分からないけど、何故か凄く胸が痛んだ。食べ物を捨てるって背徳感のような、でもそうじゃなくて、ほんとなんとも言い難い悲しい気持ちになった。
    祖母に「食べ物を捨てるってなんだか嫌だね」と私が言うと祖母は「そうだね」と言って「でも、それでもお祖父ちゃんにあげたいのよ。」と言ってた。
    今は祖母も亡くなり、私は結婚して一児の母になったんだけど、買い物するたびに旦那の好物が目に入るとつい買ってしまう。
    そして毎日美味しいと言いながら食べてる旦那と子供を見るのが幸せ。
    その好物を捨てる日が来ないといいな。

    引用元:http://kohada.open2ch.net/test/read.cgi/kankon/1450190939/
    139 :スカッとする修羅場まとめ 2015/12/19(土) 06:31:00 ID:OtP
    私が2歳の頃に父の不倫が原因で両親が離婚し、それ以降一切父とは会っていない。

    父方祖母が私を不憫に思っていたらしく、遺言状に私宛の相続を記してくれた。
    祖母が亡くなってから銀行の貸金庫から遺言状が出てきたそうで、家族の誰もが貸金庫の存在すら
    知らなかったために父方一家びっくり。
    祖父母は戦後に地元(九州)で事業を興した人で、今は父兄が継いでいる。
    個人名義でもそこそこ財産があったので、きっと期待していたんだと思う。
    慌てて弁護士をよこして相続放棄するように迫ってきたけど、母に慰謝料も払わず、養育費も払わず
    母子そろって着の身着のまま同然で追い出した父に遠慮する必要なんてないので、ありがたく相続するよと答えた。
    私はその時東京で会社を興したばかりで資金繰りに苦慮していた時期だったし、唯一気がかりだった母も地元を離れていて
    「私のことは気にするな」と言ってくれたので遠慮なく頂くことにした。

    祖母が遺言状に添えるように手紙を残してくれて、その中に
    「子世帯のことだからと、離婚もその後のことも口を挟まずにいたけど、やはり後悔しかない。
    今までの(孫)ちゃんへの養育費とお詫びだと思って受け取ってほしい。
    生きているうちには会えないかもしれないが、私がタヒんだあとにこの手紙を読んで許してくれるなら
    一度だけお墓参りしてほしい」
    なんて書いてあって思わず泣いた。これで相続放棄したら祖母が可哀想だ。

    祖母の遺言状は祖父にすら内緒で作成されたものだけど、昔の部下を証人に立てて公正役場で作ったもので、
    さらに祖父や父・父兄への遺留分にも考慮してあったものだから、法的に何の問題もない。
    裁判してもそれ以上は望めないのはわかっていたくせに、嫌がらせみたいに裁判を起こされた。
    もちろんこっちが勝ったんだけど、判決の後に父の後妻がわざわざ東京まで来た。
    深夜に会社(兼・私の自宅)の前をうろついていたところを、深夜業務のために出勤してきた従業員に声をかけられて、
    びっくりしたのか転んで骨折したので救急車呼んだ。
    そしたらその従業員に襲われたなんて言い出すから、警察に出入口と駐車場の監視カメラの映像提出したよ。
    もちろん父妻が勝手に転んだのが証明された。

    翌日父が慌ててすっ飛んできて、警察署で両親離婚後初の親子の再会w
    「ご無沙汰してますが娘の○○です。嫌なところで会いましたねぇ」なんて相棒の右京さんみたいな口調で言ってしまったw
    記憶にあった父はわりと男前だったんだけど、実際に会ってみたらなんてことないしょぼくれたおっさんでがっかりした。
    父妻は厳重注意で解放されて、父と九州に帰っていった。

    その後も小さな嫌がらせはあったんだけど、証拠もあるしいい加減に訴えるよ、と会社の顧問弁護士から
    父兄の会社宛に文書送ったらぴたっと止まった。
    父は父兄会社の役員、父妻は従業員だったし、会社の管理を問えるような状況がそろってたので会社宛にしてみた。


    決算関係の書類作りながら、息抜きに当時の思い出を書いてみた。
    おばあちゃんのおかげで今年も無事に年を越せそうです。おばあちゃんありがとう。来年またお墓参り行くよ。

    引用元:anchorage.5ch.net/test/read.cgi/live/1223993744/
    321 :スカッとする修羅場まとめ 2008/10/17(金) 12:56:19 0
    実母と祖母と私と元旦那で住んでいた完全二世帯住宅。
    二人が相次いで亡くなると元旦那の手引きでウトメ入り込んできた。
    その時はへタレだったので完全二世帯だからいいかと思い容認したが
    最初のうちこそおとなしかったが次第に嫌味や息子世帯への口出しと
    テンプレどうりのことをやりだし元旦那のプリンちゃんとの証拠もゲットしたので
    「二世帯住宅を建て替えましょう」「」と言って仮住まいのアパートを借り元旦那も一緒に
    押し込み「私は仕事が忙しい時期だからこの期間だけ会社の近くにマンションかりるわ」と
    言って別居生活に突入。トメはかわいい息子ちゃんと嫁抜きで暮らせるわ、
    新築の家に住めるわでニコニコで認め旦那もプリンちゃんとのデートを気兼ねなく
    できるから「少しの辛抱だから」とニコニコだった。
    速攻で二世帯住宅は取り壊し見事な駐車場に変身。場所が良かったこともあり
    すぐに満車になった。その後プリンちゃんとの動かしがたい証拠を手に弁護士さんと
    緑の紙召集。元旦那ウトメは騙されたと騒いだがプリンちゃんとは建て替えの話が
    出る前からの付き合いだったようだし「建て替えの準備をしているときに気がついた。」で
    押し通し元旦那が有責だったこともありその後はスムーズに。
    痛かったのは知人に偽の設計図を依頼したことぐらいだがパチンカスのウトメに
    母の財産むしり取られるぐらいなら必要投資だとおもうことにした。

    320 :スカッとする修羅場まとめ 2014/07/23(水) 23:13:21 ID:???
    とっくに亡くなっていたはずの祖母が最近まで生きていたこと。

    自分は今20代前半で、実家を離れて暮らしている。
    先日、父が出張ついでに会いに来た…というのは口実で
    実は祖母(父の母)が亡くなった事と
    俺と両親と祖母との間に起こった事を知らせに来た。

    過去の話については全部最後に「らしい」とか「だそうだ」とかを補完して読んでください。

    父はかなりの田舎出身で、祖母はずっとそこで暮らしていた。
    祖父は父が幼い頃に亡くなり、祖母は一人暮らしだった。
    俺は全く記憶にないのだが、うんと幼い頃に父と一緒に遊びに行ったことがあった。
    両親は仕事の休みがなかなか合わず、その時も母は一緒ではなかった。
    三泊四日の予定で行って、父は二泊目の夕方に地元の友人宅に遊びに行った。
    俺と祖母がどう過ごしていたかは覚えてないし、父も詳しくは知らない。
    多分俺が勝手に祖母の家を出てふらふら歩いて行ってしまったのだろう。
    俺は見知らぬ田舎で迷い、行方不明になっていた。
    祖母は父に知らせ、近所の人に知らせ、あちこち探しまわり、沼をさらい
    母にも連絡し、大騒動になり、母は車ですっ飛んで来た。
    俺は深夜近くに、集落から少し離れた場所で、無傷で見つかった。

    そこから母と祖母がモメた。というか、母が一方的に祖母を罵倒した。
    無責任だとか、放置したとか、虐侍だとか、そういう意味の事を言ったんだろう。
    母は祖母に「二度と孫(俺)に会わせない!」と言って
    俺を車に乗せて帰り、そしてその宣言を実行した。

    俺は父方の祖母について、一度だけ両親に尋ねた事がある。
    母方の親戚はそれなりに居るし交流もあったのだが
    父方の親戚には全く会った事がなかったからだ。
    でも、父方の祖父母はどっちも亡くなっていて
    父は一人っ子だから(これは事実)、おじやおば、イトコも居ないと聞かされて納得していた。

    500 :スカッとする修羅場まとめ 2015/12/22(火) 20:08:22 ID:uMx
    母が弟を捨てる所を目の前で見たのが修羅場
    滅茶苦茶長文なので嫌いな方スルーして下さい

    私には1歳下の弟がいる(仮名・ゆうすけとします)
    小さい頃私達一家(父母私弟)は父方の祖父母と同居していた
    よくある話だけど祖母は母と折り合いが悪く、その息子である父も自分の母親言いなりだったようだ
    祖父は非常に無口な人ではっきり言って空気だった
    祖母と父は、弟を異様に可愛がって…というか甘やかしていた
    姉の私とははっきり蒫別があった
    弟だけ決められた時以外でもオヤツを食べて良かったし
    嫌いな食べ物を残しても、オモチャを散らかしても怒られない
    5歳の弟が花瓶を投げて割った時も、一緒に遊んでいた私が叱られる有様だった

    母は子供ふたりには分け隔てなくしっかり躾けようとしていた
    別にヒステリックなやり方じゃなくて「ご飯前にオヤツは禁止」「遊んだオモチャはすぐ片付ける」とかごく当たり前の躾けだったと思う
    けどそれを祖母や父が
    「お母さん怒ってばっかりで怖いねー」「ゆうちゃん、オヤツ好きだもんねー」
    とか言って甘やかし続けてたのは良く覚えてる
    正直当時は好き勝手やってもかばってもらえる弟が羨ましかったりもした
    母は随分努力した(と思う)けど、母親VS父親&祖母の1体2じゃ勝ち目はなかった
    今思えば嫁いびりの一環でもあったんだと思う

    結果、弟は小学校に上がる頃にははっきり言ってかなりの糞ガキになっていた
    食卓に自分の気に入らない料理が出ると食べないだけでなく、箸やフォークでグチャグチャにする
    どこかで「ババァ」と「ブス」という言葉を覚えて母と私を呼ぶのに使う
    母を「ババァ」と呼んで怒られると「鬼ババァが怒った♪鬼ババァが怒った~♪ばぁちゃ~ん」と祖母の所へ駆け込んでいく
    自分が散らかした子供部屋(私と弟の共有)を「ブス!片付けとけよ!」と私に命じて遊びに出かける
    私の当時の宝物(お菓子のおまけのシール)を盗んで親には「お姉ちゃんがくれた」と嘘をつく
    母は「お姉ちゃんに返しなさい」と怒ったけど、祖母や父は「お姉ちゃんがあげたんだろ?取り返すなんて意地悪」と私を叱った
    結局宝物は返って来なかった

    227 :スカッとする修羅場まとめ 2012/07/22(日) 14:24:53 0
    昭和の時代に私の母が祖母にしたDQ返し。

    祖母は、陰湿な㬥カとかはないんだが、
    孫の私からみても、くだらないイヤミをいう人だった。
    庭で家庭菜園をやってて、
    畑に植える苗は、会社勤めの母に買ってこさせていたんだが、
    買って来てもらうのにイヤミ三昧。

    あるとき、ナス苗を買うよう母に言いつけたんだが、
    「苗は嫁子みたいに太くてがっしりしたのを選べ。
    オレ(田舎の人で一人称がオレだった)みたいな細こいのはダメだかんな」
    と言ったそうな。

    その言葉にカチンと来た母は、それから1か月ほど、祖母に呼ばれるたび
    「私は、私は、な・す・な・え~~~~~♪」
    と、力いっぱい歌い、その後真顔に戻って、
    「で、何ですか。」
    と用件を聞いていた。

    急に歌いだすようになった母親にびっくりして聞いたところ、
    上の顛末を教えてくれたんだが、
    その歌が、祖母の好きだった森進一の「おふくろさん」だとは、
    (あなたの、あなたの、しんじつ~♪ ってところらしい)
    何回聞いてもわからなかったよ。あの音程じゃ。

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